【公式】大分八幡宮:放生会(秋の例大祭)

【公式】大分八幡宮:放生会(秋の例大祭)

放生会

放生会として知られる秋の例大祭は、9月の最終土曜日と日曜日に斎行されています。土曜日に、祭座と獅子舞。日曜日は、祭典、獅子舞、流鏑馬、餅まき、御神幸祭が執り行われています。

八幡大神と縁の深い放生会は、もともと仏教の教えに基づくもので、魚や鳥など生き物を放つ法会に由来します。八幡宮では、養老4年(720)に宇佐にて、八幡大神の託宣による放生が行われたのがその始まりとされています。大分八幡宮で放生会が始まったのがいつかは定かではありませんが、宇佐神宮の創建された神亀2年(725)の翌年の神亀3年(726)が創建であることから、当初から放生会は執り行われていたと考えられています。また、記録としては昌泰3年(900)に太政官符により官幣に預かった際に放生会が斎行されたと記されています。

応仁の乱以降の衰退により放生会は途絶えますが、享保6年(1721)8月15日に復活。享保8年(1723)には流鏑馬。その翌年の享保9年(1724)には村人が石清水八幡宮で習得してきた獅子舞が奉納され、享保15年(1730)には御神幸祭が再開され、神事祭事が整えられることとなりました。明治期の神仏分離の後しばらくは、仲秋祭と名を変えていましたが、現在は放生会に改められています。

日曜日の御神幸祭で神霊が御乗りになられる神輿は、享保9年(1724)3月に、庄屋の伊佐甚九郎直友、伊佐市郎治直伝、伊佐藤五郎によって寄進されたことが墨書されています。

獅子舞

享保年間(1716-1736)には、諸神事が整備され、復興を確かなものとするための組織もつくられてゆきました。そのような中、庄屋の伊佐善左衛門直信は、享保5年(1720)に15人の村人を2ヶ月上洛させて、京都の石清水八幡宮で獅子舞を習得させました。そして享保9年(1724)の秋の放生会において、ついにこの獅子舞が奉納されました。

かすかに憂いを含みながらも賑やかな、笛と太鼓と銅拍子の、囃子の調子の緩急に合わせ、二頭の獅子が一対となって舞い踊る様は絶妙です。石清水八幡宮ではすでに絶えていますが、大分八幡宮では今も、享保の昔と変わらず色鮮やかな獅子舞が、確かな足取りで伝えられています。

大分八幡宮の神前をはじめとして、ゆかりの地を舞い歩く獅子舞は、放生会の華となっています。古式をよく伝え、筑前地方の他の獅子舞に与えた影響も大きいことから、福岡県指定無形民俗文化財となっています。

江戸期の獅子頭は、頭に宝珠を戴いている赤い獅子頭が雄獅子で、角がある黒い獅子頭が雌獅子で、ともに肉厚で重厚なつくりをしています。

ギャラリー

  • 県指定無形民俗文化財の獅子舞
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